芝田1丁目

阪急電鉄の移設が大きな分岐点

 芝田一丁目は、東は茶屋町、西は芝田二丁目、南は角田町、北は豊崎に囲まれた地域で、その多くが阪急梅田駅構内によって占められています。元は西成郡北野村と呼ばれ、明治30年(1897)4月1日に北区に編入され、明治33年(1900)4月に北野芝田町と改正されています。さらに、大正13年(1924)6月1日の町名改正で、北野の冠称を廃して芝田町、小深町となりました。

 

 そして、現行住居表示の実施によって、昭和53年(1978)に芝田町を芝田一丁目に改称しています。

 

 昭和48年(1973)11月23日、阪急梅田駅が角田町から移設されたことで、まちは大きく変わりました。それまでの住宅や商店の多くが移転し、阪急村と呼ばれる新しいまちとして再出発することになりました。現在は、さまざまな店舗や飲食店が点在する賑わいのあるまちとなり、再開発も控えて活気づいています。

民家や商店街・市場が軒を連ねていた時代

好景気が続いていた 昭和34年~44年頃のまちの暮らし

 阪急梅田駅の北側に位置する一帯に広がる芝田町は、かつては住民の暮らしを支えるさまざまな商店が軒を連ね、活気に溢れていました。路地があちこちに走り、芝田町商店街も今とは異なり、乾物屋や豆腐屋、生鮮食料品を扱う店舗がそろっていました。路地は子どもの格好の遊び場でもありました。

庶民の市場から飲食店のワンダーランドに。

 古くから地域に根ざした身近な芝田市場・芝田町商店街として親しまれてきた。昭和43年(1968)に市場はなくなりましたが今も4軒の店が残っています。平成14年(2002)に芝田町商店街から芝田商店会に改称し、「各線梅田駅からすぐそば。飲食店のワンダーランド」と、恵まれた地の利をアピールしたキャッチフレーズで知られ、遠方から訪れる人も増えています。現在、7~8割を新しい店舗が占めており、老若男女が集う賑わいのまちとして認知度もアップしています。


阪急電鉄のまちづくりとともに

私鉄最大級のターミナル「阪急梅田駅」

 明治40年(1907)創立の阪急電鉄株式会社は、沿線の宅地開発や観光・文化施設づくりなどを推進してきた企業です。平成18年(2006)10月に、阪急電鉄株式会社、阪神電気鉄道株式会社、株式会社阪急交通社、株式会社阪急ホテルマネジメント(現:株式会社阪急阪神ホテルズ)の4社を中核とする阪急阪神ホールディングスグループが誕生しています。

 

 阪急阪神東宝グループに属する阪急電鉄株式会社(略称は阪急)は、芝田一丁目に本社を置いています。

 

 これまで、私鉄最大級のターミナルである阪急電鉄梅田駅を中心に、百貨店をはじめとした商業施設、オフィスビルやホテル、劇場などを展開し、人の流れを作りだしてきました。また、都市生活者のニーズを先取りした上質の空間やサービスの提供をしています。例えば“川の流れる地下街”阪急三番街にはじまり、D・D・HOUSEなど、特色ある施設の企画・開発を推進してきています。

 

阪急三番街

本万国博覧会開幕をひかえた昭和44年(1969)11月30日に、阪急梅田駅の拡張移築とともに開業した大規模ショッピング街です。当時は地下に造られた人工の川やベルナール・ビュッフェ氏の蝶のモニュメントが話題となりました。平成2年(1990)に開業20周年と花の万博開催に合わせて改装が行われ、「ミュージアムステーション」としてフレッシュアップしています。商業施設としては老舗となりましたが、平成29年(2017)春には大掛かりな改装が行われており、常に時代のニーズに対応した店舗空間づくりで集客を図っています。

 

大阪新阪急ホテル

 株式会社阪急阪神ホテルズの直営ホテルで、現在は芝田一丁目に本社があります。

 

 (株)阪急阪神ホテルズは昭和33年(1958)3月に大阪航空(株)として設立し、平成11年(1999)に(株)阪急ホテルズに商号変更しています。その後、阪急電鉄ホテルグループの経営統括会社として本格稼動し、平成14年(2002)に(株)第一ホテルと合併するなど幾多の変遷を経て、現在に至っています。大阪新阪急ホテルは、客室総数922室、レストランや宴会場なども完備しています。駅直結のベストロケーションのホテルです。 

阪急三番街のレゴ展示

 昭和59年(1984)に阪急三番街北館1階ショッピングモールの通路を利用して全国でも珍しい通路水族館が設置されていました。熱帯性海水魚や淡水魚などが身近で鑑賞できる水族館として長く親しまれてきましたが、阪急三番街のリニューアルに伴って閉鎖され、平成29年(2017)4月からはレゴブロック作品の展示スペース「阪急ブリックミュージアム」として生まれ変わっています。

 

茶屋町あるこ

 阪急梅田駅北側高架下に昭和50年(1975)にオープンした「阪急古書のまち・かっぱ横丁」は、平成31年(2019)春、路線型飲食街「茶屋町あるこ」として生まれ変わりました。2階部分の飲食店は引き続き営業されており、歩道沿いにあってまち歩きがより一層楽しめるようになりました。

ちなみに、「阪急古書のまち」は「三番街うめ茶小路」に移転しています。

 

三番街うめ茶小路

 阪急梅田駅北側高架下にあった「阪急古書のまち」はマドレーヌアベニュー(紀伊國屋書店の東側)に移転し、「三番街うめ茶小路」として生まれ変わっています。メイドインジャパンにこだわった新たな物販店を加え、「和」のテイスト溢れるストリートゾーンとなっています。

 

阪急ターミナルビル

 昭和47年(1972)3月に竣工した地下4階・地上17階の商業ビルです。5~6階は阪急17番街と呼ばれ、ブティックやレストランが入居しています。最上階17階には大阪新阪急ホテル直営の貸会議室があり、また、ホテル直営レストランのシェフが腕を奮う、パーティ、宴会時の食事も楽しむことができます。

D・D・HOUSE

昭和58年(1983)に梅田駅北改札から北、高架線の西側に地上17階、地下2階の北野阪急ビルが起工されました。シティホテルやフィットネスクラブなどが入ったこれまでにない阪急の施設として話題になりました。D・D・HOUSE はその2年後に地上3階、地下1階のレジャー街としてオープンしています。

阪急電鉄本社ビル

 平成4年(1992)に竣工した阪急電鉄本社ビルは、それまでは娯楽施設として近在の人々に親しまれていた梅田阪急スケートリンクと梅田スポーツガーデンの跡地に建てられた高さ19階のビルです。1階には多目的使用のエコルテホールがあります。

宝塚大学梅田校

 宝塚大学(学校法人関西女子学園)は、昭和62年(1987)に芸術にIT・マルチメディアを取り入れた教育を展開し、当時先駆的な試みとして注目された学校です。平成15年(2003)4月に宝塚造形芸術大学大学院修士課程大阪梅田サテライト開設し、梅田キャンパスが誕生しています。

 

  平成22年(2010)に看護学部が新設されたのを機に、大学名も宝塚造形芸術大学から宝塚大学に変更されました。キャンパスビルは安藤忠雄氏が建築設計をしています。